2020SAPPORO?もはや誰のための、何リンピックなのか分からない件

「2020 TOKYO!」

そう聞いた記憶がありますが、マラソン・競歩の決戦は「SAPPORO」の方向で動いています。なんじゃそりゃ?

最早東京オリンピックなのか?

そもそも一つの都市で開催という時代ではないでしょうが、色々と酷い有様です。

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真のアスリートファーストとは?

ことの経緯は?

散々ワイドショーなどで報道されているので簡単に。

以前から夏の東京でのマラソン・競歩は過酷で危険だといわれていました。

そもそも何でこの時期(8月)なのか?というと五輪BIGスポンサーであるアメリカのTV局のスポーツ閑散期がこの時期だからです。

アスリートファーストとか綺麗事を抜かしてますが、「金のためなら多少選手はぶっ倒れても良い」という結論です。(ドーハの女子マラソンで「多少」じゃなく「多数」が棄権したので大慌てなんですね。)

(誘致側の「夏の東京は温暖で最高!」という嘘八百を招致の上でIOCその他のお偉いさんは飲み込んだのですから。ここに例の「コンサルタント費」の効果が表れていますね。)

でも、真面目な日本人。頑張って道路に塗装して日光反射させたり、エイドの内容(氷とか)を実験的に工夫して乗り切ろうとしていたわけです。

そこでIOCが一言やっぱ、札幌にするわ。アスリートファーストだろ?ドーハ暑くてやばかったじゃん。

取り巻き「おっしゃる通り!!札幌が良いですよね。さすがです!初めからそう思ってました!!

なんだこれ?コントか?

欧米の合理的思考の強力さ

これは、今回に限ったことではありませんが、ビジネスで欧米(正確に言うと欧と米ではまた違うのですけど)人と接すると驚かされることがあります。

総じて「即断即決。今正しいことが正しい。」です。

一度決まったことを、「何か違うな」「おかしいな」と思っていても、「決まったことだから」「他人に迷惑が掛かるから」と粛々と進めがちなのが我々日本人です。

しかし、決定の意思決定過程がおかしかったり、状況が変わったりして、計画がフィットしなくなると容赦なくプロジェクト凍結・中止できるのが彼らです。

だって、合理的じゃないだろ?何のためのプロジェクトだい?」って、堂々と言ってきます。

ちなみに、これはどちらが正しいといったことではなく、文化の差というやつですね。今合理的じゃなくても、後年やはり正しかったということもありますので。

ちなみに今回のIOCの対応を「日本人は舐められてる」と言っている人も見かけますが、個人的にそうは思いません。要は、上記のとおり彼らは「そういう人たちなんです。

ましてや日本人は東京と札幌の違いや、東京の準備経緯を知っているので憤りますが、仮に前回のリオデジャネイロ五輪のマラソンで「リオデジャネイロ」は治安や気候が悪いので「サンパウロ」に変更しますって言ったら、多くの日本人は「ふーん、良いんじゃない?」って反応をするでしょう。

物事の見え方は立場で違います。

各地の想いは?

札幌市長は「光栄」とか言ってましたが、そりゃそうでしょう。

札幌市民以外にはあまり知られていませんが、札幌は幾つかの問題を抱えています。

冬季五輪招致問題

現職の秋元市長そして前職の上田市長は冬季五輪の招致活動を行っています。しかし、結果は芳しくありません。

というか一回札幌でやってますし、近年東アジアで開催しているので、そう簡単には決まらんでしょう?と札幌市民は思っています。

(ぶっちゃけた話、多くの市民はそんな事に金掛けるなら、日常生活の向上にお金使えって思っていますよ。)

夏季五輪の花形競技マラソンが開催されれば、IOCのお偉い方含めて世界にPRできる良い機会ですから、現場の人間は大変でしょうが、市長やら五輪誘致派は小躍りしながら、このタナボタを喜んでるでしょうね。

札幌ドーム問題

札幌には札幌ドームがありますが、サッカー「コンサドーレ札幌」、野球「日本ハムファイターズ」の本拠地となっています。

しかし、日ハムは使用条件・料金のゴタゴタがあり、北広島に新球場を建設して移転する予定です。

ここに関しては、双方の言い分ありますが、大勢としては札幌市(の外郭団体)が横柄な対応を取ったことが日ハムの移転を招いたとして、札幌市長は非難されています。

で、移転したあとの札幌ドームが大型イベントの減少により、収支的に大赤字になるんじゃないかと言われています。

オリンピック(マラソン)の発着が札幌ドームともなれば、世界中のTVにドームの姿が映ることにもなりますし。今後オリンピック記念市民マラソン大会等新しいイベントも開催できるでしょう。管理者からすると千載一遇のチャンスです

一方で、東京ですよね。コースも考えて、チケット売って、道路に塗装して、ボランティアや警備の配置等考えて。全てがパーです。

関係者の落胆たるや凄いでしょうね。でも「アスリートファースト!選手が暑さで倒れても良いのか?」というIOCの恫喝の前に、唇噛んで黙るしかないでしょう。

小池都知事の「北方領土でやれば」発言に批判もあるでしょうが、それくらい言いたくなりますわな。というか実際札幌よりも道東地域の方が涼しいですし、本気で気候を優先するつもりなら「釧路とか根室とかの道東」でやりゃ良いんですわ。

広大な土地はあるし、選手や関係者皆でテント張って、夜はキャンプファイヤーで「マイムマイム」したら楽しいぞ~。

そもそも五輪とは?その意義とは?

以前五輪のマラソン記録を調べたことがありましたが、現代の五輪は「本来の五輪精神」からはかけ離れた大会になってしまっていますよね。

オリンピック憲章の根本原則の6「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。」にあるとおり、財産の有無に関係なく皆が参加できるのが本来の趣旨のはずで、お金とは距離をおかなきゃならん大会のはずですが…

もう、大昔の話のような気がしますが、自分が子供の頃は「プロは五輪に出ない」という決まり(慣習?)があったはずです。

要は、競技で食ってるプロの大会ではなく、あくまで出る事に意義があるアマチュアの大会だという位置づけです。

今では、プロが出るのは当たり前。そのプロを支援するスポーツメーカーのCM大会としての側面も大きく、スポンサー飲料以外は映しちゃだめなんでしたか?とにかく「スポンサーファースト」です。

勿論、「五輪精神」「スポーツマンシップ」を重んじる選手や団体もあるでしょうが、もはや無邪気な「平和の祭典」では到底ないことはあきらかでしょうね。

「アスリートファースト」って、近年錦の御旗の如く多用されますが、個人的には「言い訳」として使われることが多いと思います。そして、全体的に「アスリート甘やかし」傾向も気になります。

選手が普段通りのパフォーマンスができるよう全力を尽くすのは当然ですが、何から何までお膳立てしすぎじゃないですか?そんなことをやるからお金が掛かるのでは?

お金が掛かるとスポンサー頼みになります。

そして、そうなると結局一番大事な真の「アスリートファースト」が崩れることになります。真夏の東京を走らせる時点で選手のパフォーマンスを第一に考えてるなんて到底言えないのですよ。

今回どういう顛末になるのか分かりませんが、20世紀の五輪はゼニリンピック的な要素が強すぎます。21世紀は、もっと予算とか環境とかに対してしなやかに対応する五輪であって欲しいですね。

21世紀(未来)のオリンピックとは

勝手にいうだけ言ってみます。

カジュアル。そしてサスティナブル。

昔招致機運醸成みたいな趣旨で、ビジネス街のど真ん中で100m走デモンストレーション等やってました。競技場がなくても走れるんです。

どこの国も五輪用に新しい施設(箱物)を建てたがりますが(というか建設特需も五輪効果に含まれますから)、50mのプールなんて、東京そして日本中に幾つあるでしょうか?

恐らく、五輪に使うためには色々な厳しい条件があるので使えないという話でしょうが、汚染されていないプールであれば良くないですか?

いつからスポーツ選手って、整備されきった環境じゃないと競えないようになってしまったのでしょうか。

日常的に一般人が使用している施設をそのまま使う普段着のカジュアルさの中での競技ってそんなにダメでしょうか?少し話しは違うけど、ビジネス街の100mは選手の近さや普段見ている光景とのギャップがあって、面白かったですよ。

使えるものはそのまま使う。これって当たり前では?

前回の東京五輪の一番のレガシーであった旧国立競技場をぶっ壊す光景や、長野冬季五輪のボブスレー場の惨状を見た上で「レガシー」を作るって息巻いている関係者を見ると違和感しか感じないのですが。

複数都市開催

一都市で実施する必然性ってなんですかね?まあ、プレス含めた関係者や放映権者などへの配慮でしょうか?

今回明らかになったのは「別に東京だけじゃなくても良い」というか「寧ろ、複数都市の方が勝手が良い」とい事実では?

マラソンや度々水質問題が持ち上がるトライアスロンもそうでしょう。東京が都合よい競技もあればそうじゃない競技もあるわけです。

「アスリートファースト」を言うなら、国(や地域)単位での開催が大前提でも良いのでは?

随時開催

要は時期をずらしたら?ということです。

東京でも秋か冬ならマラソンシーズンとして持って来いでしょう。というか実際東京近辺のマラソンはその時期がハイシーズンなんですから。

開会式と閉会式は盛り上がりますが、今の時代皆(全競技)がそこに居る意味ありますか?少し長めに3ヶ月くらいで随時競技を消化していけば、ホテルや道路の込み具合含めて、良いこと尽くめだと思うのですが。

人間性の醸成

人間性が醸成していない自分が言うのもなんですが、五輪の意義を皆でもう一度再確認すべきでは?

勝者が称えられ、敗者が労われるのが五輪のはず。

行き過ぎた勝利至上主義が、過剰な環境整備の要求につながり、それがコストの増大、巨大スポンサーの必要性、そして「真のアスリートファースト」が歪められる要因になっています。

勝利も勿論尊いものですが、それ以上にスポーツマンシップや、その選手の努力や戦術に敬意を払える。そんな社会になっていかなければ、現状は動かないでしょうね。

0.01秒を削りだすために、途方もない努力をしている選手や関係者に凄まれたら、一般人は何も言えなくなってしまいます。(それはそれで素晴らしいこと、尊敬できることです。否定はしません。)

しかし例えば「100mを9秒台で走る能力」と「介護施設で、痴呆症の老人にキチンと向き合う能力」というのは、どちらが重要なのでしょうか?

答えは各人次第で良いと思います。しかし、「前者は英雄、後者は凡人(誰でも研修受ければできる)。」と簡単に言えるでしょうか?

私は、どちらも称えられるべき超人であり、賞賛されるべきだと思います。

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スポーツとは?五輪とは?